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エステティシャンよりごあいさつ

佐々木幸代こんにちは、私は、サロン ド ポリッシュ アナウェルのエステティシャン・佐々木幸代(ゆきよ)と申します。当サロンのホームページをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

貴女が、どのように、このホームページにたどり着かれたのか分かりませんが、こうして私のご挨拶をお読みいただいているのも何かの巡り合せかもしれません。少しだけ私の事、そして、このお仕事をするようになったきっかけをお話しさせて下さい。

のほほんとした生活がある日・・・

私は、10年ほど前までは、普通の専業主婦でした。 自分で言うのもなんですが、毎日、なーんにも考えず、主人が稼いできてくれたお給料で、のほほんと気楽に生活していました。

お金は旦那様が稼いで来てくれる。私は、家事と子育てをきちんとやって、残った時間は趣味と習い事で人生エンジョイ!そんな時間が永遠に続くと信じて、疑いもしていなかったのです。


ところが、人生何があるか分かりませんね。真面目で優しかった主人が、ある日、誤って階段から転落する事故に遭ってしまったのです・・・・・。

その日、主人は病院で診察を受けた後、自分で家に帰って来て、次の日にまた診察に行くことになっていたのですが、次の日になると既に意識不明の状態で、すぐ救急車で搬送されました。緊急オペで約8時間の手術でした。

病名は『急性硬膜下血腫』。階段から落ちて頭を強く打ったせいで出血し、少しずつ脳内に血液が溜まっていっていたのです。

溜まった血液は、徐々に脳を圧迫します。人間の脳は、水に浮いている豆腐のような物で、行き場を失った血液が、だんだん頭蓋骨の中に溜まると共に、押しつぶされ破壊されます。脳の再生は不可です。主人は第一級身体障害者になってしまいました。

エステティシャンを目指す

私は当時、二人の子供を抱え、下の子はまだ小学校2年生でした。どうしたら良いのか全くわからず、 幼稚園教諭とOLの経験しかない私は、潰しがきかない状況で、職もないまま路頭に迷ってしまいました。

どうしたものかと、来る日も来る日も泣き暮れていた時に、そんな私を見かねて、エステティシャンをしていた友達が勧めてくれました。

「毎日、泣いていたって生活はできないのよ。手に職をつけるために、あなたもエステティシャンを目指してみれば?」


その時は、どういうわけか、私の周りにはエステティシャンの友達が多く、彼女達からも、やり甲斐のある仕事だからと聞かされていました。

でも当然、やり甲斐があるからと言われて、「はい、じゃあやります」と、できる仕事じゃありません。まず、エステの学校を探して、代々木にあるタカラの美容専門学校に通い始めるところからスタートです。


入学してからは、今、思い出しても苦しくなるくらい、それはそれは大変な苦労をしました。だいたい勉強から遠ざかって、10年以上経っている上に、ただでさえ記憶力には自信のない私が、学校を卒業したばかりの現役バリバリの子達と、机を並べて勉強するのです。ハンデをいくつ貰ったって追いつく訳がないんです。

それなのに学校ですから、人間の筋肉の名前、骨格、血液の流れ方、ホルモンの作られ方
病気の人が食べてはいけない物、食べていい物などなど、「私はいったい何になるの?看護師さん?」という範囲の勉強までしなくてはならないのです。 その時はじめて、エステティシャンになるのは大変とつくづく思いました。

でも、その苦労のおかげで何とか、ボディー、フェイシャル、フットの日本エステティック協会の資格を取得する事が出来たのです。

ついにサロンオープン

学校を卒業した私は、すぐにサロンを立ち上げました。貯金もそれほどありませんでしたし、とにかく食べて行く基盤を作らなくてはなりません。

サロンをオープンしてからは、私の想像をはるかに超えるハードな毎日が続きました。施術では体力、腕力を相当使いますし、経理や顧客管理、広告の事など、頭を使う仕事も全部自分でやらなければなりません。

何しろ初めてなわけですから、それだけでヘトヘトに疲れましたが、仕事の前には掃除洗濯、娘たちの世話、もちろん、主人の看病にも行かなくてはなりません。家に帰るとベッドに倒れ込むように眠る日々が、ずっと続きました。

自分でも、いつまで体力、気力が続くか分からない状態でしたが、何よりも、お金を払って私の施術を受けに通って下さる、お客様の期待にお応えしなくてはならない、笑顔にして差し上げたいという強い気持ちが、私を頑張れと支えてくれました。

そして、個人的な事を言えば、「娘たちには絶対に不自由な思いをさせたくない。」という親心、「頑張っていれば、いつかは主人がきっと元気になってくれるに違いない。」という希望が、私を負けるなと励ましてくれたのです。

その思いも虚しく、主人は倒れてから3年目に、植物状態のまま、呼吸器不全で亡くなりました。 何か張りつめていた糸が、プッツリと音を立てて切れたような気持ちでした。

突然の病気

そして、そんな私に、追い打ちをかけるような出来事が起こりました。ストレスからなのか、精神的に気が抜けたのか、集団検診で胃ガンが発見されてしまったのです。

がんセンターの事務の人は、私がサロンをやっているなんてお構いなしで、突然電話をかけてきて、明日入院してくださいと事務的に告げました。

私が、「仕事があるんです。」と言うと、今回入院なされないならば、次回いつ入院出来るか分かりませんと冷たい返事です。今考えれば、相手も仕事だから仕方がないのですが、あの時ばかりは、その事務の人が鬼のように思えました。


でも、そう言われたら仕方がありません。検診の先生が仰るには、「胃ガンの状態は、ステージ1ではないと思う。悪ければステージ3まで進んでいるかもしれない」との事だったので、死にものぐるいで運営してきたサロンは、泣く泣く閉店することにしました。

がんセンターで無事に手術を終えると、運が良かった事に、ガンの広さは7センチくらいあったのですが、深さが浅くてステージ1に収まってくれていました。

その後は、療養に努め、体に負担のかからないように、穏やかに暮らすことを心がけました。仕事も、体調を考え長時間の労働は避け、パートタイムなどで最低限の生活が出来る分だけです。おかげで、あれから7年が過ぎ、無事に5年生存率もクリアできました。

友達の一言から

そんなある日、すっかり元気になり、ダラダラ?暮らしていた私は、友達から一言、「ねえ、そんなに元気になったんなら、またサロン始めてみたら?私にエステやってよ!」と言われました。

私ははじめ、サロンを再開するつもりなど全くありませんでした。ただこのまま静かに生きていければ良いと思っていましたが、目の前で、またエステやってよと、優しく微笑んでいる友達を見て、何故だか鼻の奥の方に、懐かしい記憶がよみがえって来ました。

それは、サロンをやっていた頃のお客様の笑顔でした。いつも帰り際に、「ありがとう。また来るね。」と言葉をかけてくれた、お客様達の顔がはっきりと浮かび上がって来たのです。あの頃の生活は、確かに、辛くて大変ではあったけれど、ありがとうの言葉とたくさんの笑顔に癒され、毎日とても充実していました。


病を患ってからは、「心と体に、なるべく負担をかけないように生きて行こう。」「人になるべく迷惑をかけないようにする代わりに、私も人に対しては何も出来ない。」いつの間にか、そんな消極的な考え方をするようになっていた私でしたが、この一言で、自分の人生を、もう一度考え直してみようと思いました。

本当にサロンをもう一度立ち上げられるのか?体力は持つのか?その前に、7年もブランクのある私のところに、お客様は来てくれるの?いろんな不安が頭をよぎりました。

でも、その内に、「私一人で、お客様とのんびり出来る小さなサロンなら、やれるかもしれない。」と思い始め、最終的には、やり残した夢に再チャレンジする事に決めました。たとえ規模は小さくても、あの頃のように、お客様に喜ばれ、私も充実感を得られる日々に、どうしても戻りたかったのです。


幸せな事に、お友達にも、周囲の方にも、後押しをしていただきました。物件を紹介してくれたり、インテリア選び、機材の搬入、メニュー作りetc.忙しい中、仕事の合間にみんな協力してくれたのです。その他にも、内装、看板の制作やチラシの出稿など、素人には出来ない分野まで、周囲の専門家の方にサポートしていただきました。

本当にありがたくて、頭が自然に下がる思いです。なるべく、人に迷惑をかけないようにと考えて生きて来たつもりなのに、こんなにたくさんの人に支えられているなんて・・・・。

それに、今回は一人といっても、エステ部門は私だけですが、ヒーリング部門が二人いるのです。普段はズケズケものを言うと言われていますが、本当は、気のちっちゃい私には心強い限りです。

最高の報酬

こうして、Salon de Polish Anauelは動きだしました。

何といっても7年ぶりなので、もう一度講習を受け直して勉強をしました。たくさんのお友達にモデルを頼んで再訓練も積みました。最初は、ぎこちない点もありましたが、そこは昔取ったなんとかです。すぐに感覚が戻り、今では当時のように万全な体制で臨んでいます。

お客様も少しずつながら増えはじめ、昔と同じように「ありがとう。また来るね。」「気持ちよかった!」と言葉をかけていただけるようになりました。

たくさんの人の協力のおかげで、何とかオープンにこぎつける事が出来ましたが、思い切って始めて本当に良かったと思っています。

私は、綺麗な花を見ていると幸せを感じます。夜空に輝く星を眺めることも、よくあります。また、本を読んだり、映画を見るのも大好きです。

でも、どんな楽しみも、やっぱり人と人との出会いや、ふれあいによって得られる喜びに勝るものはないと思います。 人に喜んでいただける事、人の役に立てる事の幸せをかみしめながら、毎日、元気に生きていける。
これがアナウェルを始めて得ることが出来た、私にとっての最高の報酬です。

アナウェルの想い

アナウェルは、急がず、無理をせず、強要せず、お客様とのんびり和気あいあいと作り上げて
行きたいと思っております。

一応メニューは存在しますが、基本は、お客様の状態、ご希望、予算、そして私の感謝の気持ちを織り交ぜて、お一人お一人のオリジナルメニューを作り上げていきたいと考えています。

だから、ちょっぴり時間も長くなってしまうかもしれませんが、お急ぎのお客様には迅速に丁寧に対応いたします。

まずは、お客様のストレスを軽減するように、お客様が、心から寛いでいただけるように努めていきたいと考えておりますので、何でもご相談くださいませ。

また、当サロンは美容室と提携しておりますので、まつげパーマもばっちりオーケーです。髪の毛の事なども、お気軽にご相談ください。

もちろん、それ以外のご相談や、お悩みや愚痴をお話しいただいても大丈夫ですよ。私もたいがい辛い思い、苦労をしてまいりましたので、お客様の気持ちを受け止める器は有ると自負しております。

お客様にとって、美と癒やしの事をはじめ、何でも気軽に相談出来るパートナー。アナウェルはそんなサロンでありたいと思っています。

最後に

申し訳ございません。少しだけお話しさせて下さい、と言っておきながら、とても長いご挨拶になってしまいました。

最初は、病気の事まで書かなくてもと思いましたが、私が一人でご対応させていただくサロンですので、ぜひ私の事をよく知っておいていただきたいと思いました。本当の事を言いますと、私、昔からおしゃべりで、話し出すと止まらなくなっちゃうのですが(笑)

こんな私が運営しているサロンですが、もし宜しければ、貴女も、ぜひ一度遊びにいらっしゃいませんか?

お帰りの際に、笑顔で、「また来るね!」と言っていただけるよう、心を込めて、おもてなしさせていただきます。


最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。


佐々木幸代

 

アナウェルインフォメーション

佐々木幸代
アナウェル・佐々木幸代

Salon de Polish Anauelは、千葉県流山市にあるフェイシャルを中心にしたビューティー&ヒーリングサロンです。

マンションの一室でエステティシャン1人で運営していますので、完全なプライベート空間の中、あなただけの贅沢なひとときをお過ごしいただけます。

規定のメニューは存在しますが、お客様の状態やご希望、ご予算に合わせて、そして、そこに私の感謝の気持ちを織り交ぜて、1人1人のお客様に合わせたオリジナルメニューをご提供していきたいと考えております。

ただ今、初めての方のために、お試し基本コース (フェイシャルコース・特別料金¥2,100)を実施中ですので、ぜひご利用くださいませ。

ご予約・お問合せは、お問合せフォーム、または、下記お電話番号まで、どうぞお気軽にお寄せください。心よりお待ちいたしております。

サロンドポリッシュアナウェル

 

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